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要件を言おうか

マックで働くフリーターの備忘録

初月の売り上げ4000万円!日本マクドナルド誕生秘話と、マクドナルドが日本で成功できた理由

マック
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最近のマクドナルドの活躍ぶりは目を見張るものがありますね。

名前募集バーガーやパイン&ビーフなどの個性的なハンバーガーを次々と展開したり、世界的ブームとなったポケモンGOとの提携を発表したり、飛ぶ鳥落とす勢いで躍進しています。

ちょっと前までは異物混入問題であっちこっちで批判の嵐に遭っていたのがもはや懐かしく思えます。

こういう流れの中でマクドナルドを批判するような記事を書くのもなんですし、(今まで散々このブログでマックをこき下ろしてきたけど)今日は、日本マクドナルド誕生秘話となぜマクドナルドが日本で成功できたのかを書いてみようかなと思います。本気で書くと5万文字を余裕で超えそうな勢いになってしまいますので、省くところは省いてなるべく簡潔に記します。

 

目次

 

 

 日本マクドナルド誕生

 

時は1960年代。マクドナルドの創業者であるレイクロック氏は、アメリカで大成功したマクドナルドビジネスを日本でも展開したいと考えていました。

そこでレイクロック氏は多数の日本の企業家と面談をします。その中にはダイエーの創業者中内功氏もいたようですが、レイクロック氏がマクドナルドを任せてもいいと思える人は中内氏を含め誰一人としていなかったようです。

そんな中、ある日本の中小企業の経営者がレイクロック氏の目に止まります。

その経営者こそ、輸入業を営んでいる銀座のユダヤ商人と呼ばれた藤田田でした。

藤田氏と20分ほど面談をすると、意気投合し、レイクロック氏はマクドナルドビジネスを藤田氏にお願いすることになりました。

藤田氏はビジネス界では有名とはいえ単なる中小企業の親父。なぜレイクロック氏が藤田氏にマクドナルドを頼むことになったのか、その詳しい理由は詳細には明かされていません。

ただ、他の面談した社長たちは「やってあげてもいいよ」みたいな傲慢な態度が目立ったといい、それに対して藤田氏だけは誠実な男だったと後に語られています。そういうところが決定打になったのかもしれません。

 

藤田氏はマクドナルドビジネスを引き受ける代わりにある二つの条件をレイクロック氏に突き付けます。

 

1. アドバイスは受けるがオーダー受けない

2. 出資比率は50対50

 

藤田氏はそこまでマクドナルドビジネスに乗り気ではなかったため、破談覚悟で無理難題をふっかけたそうです。

しかしレイクロック氏はそれを受け入れます。

 

レイ「お前は中々面白いやつだな。わかった。ただ私にも一つ条件がある」

「マクドナルドの仕事を絶対日本で成功させてほしい」

 

藤田「成功というのはどういう意味か?」

 

レイ「今から30年の契約をするが、30年で500店つくると約束してほしい。30年後に500店できていたら、成功とみなす」

 

藤田 「よろしい。だったら500店と言わず、700店にしよう」

 

※両者のやり取り引用元

● 私の思いどおりにやる、それが嫌なら私はやらない--藤田田(日本マクドナルド社長)|経済界

 

こうして話はまとまりました。なんだか映画のワンシーンみたいですね。

 

 初期費用3000万をわずか一か月で回収

 

当初米国側は、日本マクドナルドの1号店を茅ヶ崎の郊外に出店することを希望していました。マクドナルドは郊外で成功したビジネスだったので、日本でも郊外から展開したいと考えていたのです。

しかし藤田氏はこれをはねつけ、「1号店は絶対に銀座でなければならない!」、と強く主張します。藤田氏は日本とアメリカではマーケットが違うと考えていて、アメリカ流のやり方では成功できないと確信していたのです。

しかし米国側は一切引き下がらず1号店は茅ヶ崎の郊外と押し切るため、藤田氏はそこで話し合いを止めてしまい、米国側の意向を無視して半ば強引に銀座への出店を決行します。

片田舎でマクドナルドをやっても流行らない。銀座は流行の発信地。やるなら天下の銀座に1号店を作らなければこのビジネスは繁栄しない。。藤田氏はそう信じていました。

 

天下の銀座。出店費用はなんと3000万円もかかりました。これでもし1号店が失敗すれば藤田氏は大恥をかくことになりますし、場合によっては解任という可能性もあったでしょう。

が、蓋を開けてみれば、初日は最新のレジキャッシャーもぶっ壊れるほどの繁盛ぶり。しかもそのレジキャッシャーは「絶対に故障しない機械として定評がある」スエーデン性、世界最高のキャッシャーだったのにです。

更には、製氷機がぶっ壊れてしまい「おい、こんな温かいコーラを飲んだのは初めてだぜ」と客に言われる始末でした。

1号店開店の初日は、あまりの混雑ぶりにお店のありとあらゆる機械が限界に達してしまうほどの盛況ぶりだったのです。

 

1号店にかかった総費用が3000万円でしたが、なんと初月の売り上げが4000万円。わずか一か月で初期費用を回収してしまったのです。

この大成功を目の当たりにした米国側は、これ以降藤田氏のやり方に一切口を挟まなくなりました。

 

 文化は高きから低きへ流れる

 

藤田氏は「文化は高きから低きへ流れる」という考え方をしていました。

1号店を茅ヶ崎の郊外ではなく、銀座にこだわったのもそのためです。流行の発信地銀座でなければ、マクドナルドは受け入れられない。文化というのは高きから低きへ流れるのだから、銀座から発信しなくてどうやって流行らせるというのだ。そう藤田氏は考えていました。そしてその文化をただもってくるだけではなく、うまく日本人の中に溶け込むようにアレンジしたのが藤田田の凄いところでした。

 

例えばマクドナルドのネームですが、そもそも正式名称は「マクドナルド」ではなく、「マクダーナルズ」と言います。

しかし藤田氏は、マクダーナルズだと日本人には発音しづらいと考え、3音ずつに区切れる「マクド・ナルド」の方が発音しやすいと主張し現在のマクドナルドというネームになったのです。

当然これも米国側が猛反対をして、忠実に「マクダーナルズ」にするべきだと藤田氏に言い寄りました。しかし藤田氏は米国の言い分を完全無視して強引に「マクドナルド」に決めました。非常に小さなことに見えますが、もし日本マクダーナルズだったら、3000店まで店舗数は増えなかったかもしれません。些細なことに見えて呼びやすさというのは非常に大切なことなのです。

 

わたしが、アメリカで社名を「マクダーナルズ」というのを日本では「マクドナルド」としたのも、2000年にわたって米と魚を食べ続けてきた日本人にパンとポテトと牛肉を食べさせるために、一見してすぐアメリカのものだとわかる「マクダーナルズ」として排外思想を刺激するよりは、「マクドナルド」というカタカナにして日本製かアメリカ製かわからない「オブラート」に包むためなのだ。

 

勝てば官軍より引用

 

 日本一高い給料を支払うのが当社の目標である

 

 企業には様々な経営理念があります。

ソフトバンクで言えば、「情報革命で人々を幸せに」、HONDAは「人間尊重(自立、平等、信頼)三つの喜び(買う喜び、売る喜び、創る喜び)」です。

その中でも日本マクドナルドの経営理念はずば抜けてぶっ飛んだものでした。

 

日本マクドナルドは、

「日本一高給を払う会社を目指す!」

 を経営理念として掲げていました。

 

マクドナルドは組織が結集して毎日数百円のハンバーガーを売る商売。優秀な人材が集まらなければこのビジネスの成功はありません。そこで藤田氏は企業理念を「日本一高給を払う会社」にして、外部から優秀な人材を集めようとしました。

その理念に惚れた人がマクドナルドの門をたたき、次々と優秀な人材が集まってきました。そして理念をただ理念で終わらすのではなく、本当に実行に移してしまうのが藤田氏のすごいところでした。

 

産業労働調査所の調べによると、昭和57年度の全産業平均賃金(従業員1000人以上 35歳)は493万円(年収)です。

それに対して、マクドナルドの実際平均賃金はなんと703万円でした。(35歳 勤続2年以上)

飲食店でこれだけの高給を保障できたのはまさにマクドナルドぐらいのものでしょう。藤田氏は、いずれは商社の給料を抜いて見せるとよく豪語していたものです。

 

これは僕自身がいろいろなマクドナルドの店長から聞く話ですが、昔のマクドナルドの店長は非常に金回りがよく、ベンツに乗ってる人が多かったと聞きます。

 

社員に高い給料を払うと会社はつぶれてしまうと考えている社長は多い。

しかし、私は、寡聞にして、高い給料を社員に払ったためにつぶれた、という会社を知らない。会社がつぶれるのは、99%社長がボンクラだからである。

 

天下取りの商法より引用

 

拝金主義者と呼ばれた男の素顔

 

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第38回 藤田 田(1926年―2004年)|経済界オンライン

 

藤田田という男は経営者が尊敬する経営者と言われるほど凄い人でしたが、世間からの評価はあまりよくはありませんでした。

ビジネスの展開の仕方や実績を考えると藤田氏は、稲森和夫や松下幸之助と匹敵するほどの人物だったといえますが、こうも世間から光を浴びていないのは、藤田氏の過激な発言などが原因だと僕は分析しています。

 

「金儲けできない奴はバカで低能」

「日本人はハンバーガーを食べればアメリカ人のような体系になり世界に通用する人種になってゆく」

「商売は女を攻撃して女から金を奪え」

 

こういった過激な発言が、藤田は拝金主義者だの、日本人を蔑視してるなどと世間からイメージ付けられしまったのです。嘘でもいいから社会正義のためみたいなことを言っていればもう少し日本でも知られる経営者になったかもしれませんね。

 

ただ世間のイメージとは裏腹に、藤田氏の実際の姿は全く異なるものでした。

日本マクドナルドには社員を思いやるいろいろな仕組みがありました。下記はその一部です。

 

1. 奥様ボーナス

社員の奥様の誕生日には花束とメッセージが届くようになっており、更に決算期の3月には決算ボーナスとして奥様の口座にボーナス金が振り込まれる。

 

2. 誕生日は公休日

出勤日が誕生日だった場合その日は休みになる。更に祝い金として会社から5000円が支給される。

 

3. 社員のために年間1000万円をどぶに捨てる

藤田氏は社員やその家族に万が一のことがあった時のために、衛生病院と、大阪の警察病院に年間合計1000万円を支払ってマクドナルド用のベッドを確保してある。

 

 

マクドナルドが世間の批判にさらされた時も藤田氏は、「俺のことを悪く言おうがどうでもいいが、俺の下で働いてくれている社員をバカにすることだけは許さない」、と社員を庇う発言をしたといいます。

合理主義で、拝金主義で、金に汚い悪者、しかし、藤田田の本当の姿は、ほかのどんな経営者よりも社員を思いやる浪花節の男だったのです。あえて過激なことを言って偽悪者を装うのは照れ隠しだったのかもしれません。

 

マクドナルドが日本で成功できた理由

 

 実はハンバーガーという文化が日本に上陸したのはマクドナルドが最初ではありません。

一番最初は「ドムドムハンバーガー」、その次は「ケンタッキーフライドチキン」でした。しかし一番勢いがあって一番成功したのはマクドナルドです。その差はいったいなんだったのでしょう。

思うに、ハンバーガーというのは当時の日本人からしたらよくわからないものでしたが、藤田氏はただハンバーガーをそのまま提供するのではなく、日本人の舌と感性に合うように、うまく日本流にアレンジしたことがマクドナルドの勝利につながったのではないでしょうか。

日本人にうまくハンバーガーをなじませるために、社名を「マクダーナルズ」から「マクドナルド」に変える、お店にアメリカを想起させるようなものを一切置かない、従業員は全員日本人で統一(現在はちがう)、などなど、欧米文化に拒否反応を覚える人たち相手に、必死にハンバーガーを根付かせようとしました。

他のハンバーガーチェーンにはそういった傾向は見られませんでした。その差がマクドナルドの1人勝ちにつながったのではないかと思います。

 

そして、藤田氏は何より現場至上主義をモットーとしていました。この現場至上主義もマクドナルド成功に一役買っているのではと思います。

マクドナルドは、現場で働く人間がハンバーガを作って現場で売る商売。金は現場で生まれるのです。だからこそマクドナルドビジネスの機会点は、現場にこそあると藤田氏は信じており、365日毎日店舗に足を運んでは店を観察をしていました。

また、社員にも現場至上主義を求めていました。マクドナルドの社員の新人研修では、営業だろうと、事務だろうと、すべての新入社員が実際に店舗でハンバーガーを作ったりポテトを上げたりの現場仕事から学ばせ、マクドナルドがどうやって儲ける商売なのかをその身体に覚えさせるのでした。

まあ残念ながら今では現場研修はなくなってしまい、今や本社の人間のほとんどがハンバーガーの作り方すら知らないのですけどね。

 

マクドナルドが日本で成功した理由を一言で語るのは難しいですが、しかし、藤田田がマクドナルドをやっていなければ日本マクドナルドはここまで成功しなかったのだろうと確信をもって言い切れます。それほど藤田田はすごい男でズバ抜けた天才でした。

実際アメリカのマクドナルド本社も藤田氏には一目置いてましたし、他の経営者からも藤田田だけは別格だ、と言わしめていました。

 

藤田氏の著作で「ユダヤの商法」という書籍がありますが、この本はミリオンセラーとなり106万部の大ヒットでした。定価400円の本だったのですが、今は完全に絶版となってしまい、Amazonなどのネットショップでは3万円以上の高値で取引されています。

なぜこんなに値段が高いかというと、金持ちがこの本を大事にして保管するため、あまり世に出回らないためだといいます。

僕は運よく6000円で手に入りましたが、僕的には10万円払っても価値がある本だと思います。それほどこの本には素晴らしいノウハウが書かれており、金儲けの神髄が惜しみなく披露されています。

 

ユダヤの商法―世界経済を動かす (1972年) (ベストセラーシリーズ)

ユダヤの商法―世界経済を動かす (1972年) (ベストセラーシリーズ)

 

 

 あとがき

 

日本マクドナルドの社長が原田泳幸に代わってから、マクドナルドは変わりました。

一番衝撃的だったのが、現場至上主義の撤廃。なんで事務の人間までがハンバーガーを作らなければならないのか。それが原田氏の考えでした。

 

何かと社員を表彰したり、正月にはお年玉を支給したり、家族的経営をしてきた藤田氏でしたが、原田氏に切り替わってから、そういった取り組みはすべて撤廃され、まるで米国企業かのような合理主義に基づいた会社へと変貌していきました。

昔のマクドナルドを知っている自分からしたら、(といっても藤田時代に僕が働いていたわけではないですが)その変化は悲しいものであり、到底受け入れられないもの。案の定業績は悪化し、責任を問われ原田氏は退陣し、異物混入などの不運も重なりマクドナルドはどんどん苦境に追い込まれていきました。

日本マクドナルド買収なんていう仰天な話も飛び出たりするなど、一体この会社はどうなってしまうのかと不安に思ったものです。

しかしまあ、2016年のマクドナルドは強力なプロモーションが功を奏し、売り上げは回復の兆しを見せているものですからひとまずは安心。この流れが続けばいいと思います。

 

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