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要件を言おうか

マックで働くフリーターの備忘録

まずは「絶歌」を読んでみよう。話はそれからだ

読書
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5日前に「批判殺到の「絶歌」を読んでみて、彼の気持ちが少しばかり理解出来た気がする」という記事を書きました。



この記事ではわりかし彼を擁護するような内容となってしまいました。
前回の記事で伝えたかったことは主に3つです。

少年法が一番悪い
彼は自分が犯した罪を後悔し苦しんでいる
彼は今はモンスターではない


しかし僕の中ではまだまだ書き足りないことがあります。
残忍な方法で人を殺した人間が、今はただの一般人として社会生活を営んでおり、その彼が自身の体験を綴った手記を出版したわけです。
これはかなり特異な件ゆえ、デリケートな問題でもあります。
そのため、色々な側面から多角的に考えていく必要があります。

よって今日は、前回の記事で書ききれなかったことを書いていこうと思います。
しばしお付き合いを。


「絶歌」出版に対する様々な意見まとめ

 

「絶歌」が出版されたことにより、様々な方が意見を述べています。
その多くが批判です。
まずはですが、著名の方々の意見をまとめてみました。


松本人志



僕も読む気もない。
読まないということしかできない。

坂上忍




表現の自由"がよく分からなくなった。
原作者は少年Aなんでしょうが、亡くなられたお子さんも遺族の方も、もう一方での原作者だ  と思う。
なぜその人たちの了解を得ずに初版で10万部刷るのかさっぱり分からない。



小池一夫





尾木直樹



加害者本人が書いた本は読めない。
サカキバラの残忍な行為を認めてしまうことにつながる怖さ感じるからだと思います。

何より、こういう『出版』そのものにも、なんだかセンセーショナルな仕掛け感じてしまう。

専門家ならきちんと勇気出して読むべきかもしれませんが そんな客観主義は研究室にこもる『学者』さんのお仕事。
私はあくまでも臨床から考える専門家。読みたくないです。


■ デーブ・スペクター



後書きにもね、殺害された二人の子供を「さん」付け「君」付けしていながら、自分の名前は出してないんですよね。
(元・少年Aは)少年法によって実刑といったものはなくて、医療施設とか、そういう施設だけにいたんですけども、今言ったように啓蒙的な内容がないんですよ。つまり建設的内容であれば、あるいは専門家の文章があったり、それも全くないんですけど。

よく最近この本が出てから、アメリカなどで、アメリカに限らずいろんな国で、やっぱりこれで、自分がやったことで、儲けてはいけないっていう、印税は渡さないようにしているんですよ。言論の自由があるから、憲法上、日本も差し止め、本出すなとはできないんですけども、せめてその収益、映画化の権利なりとかそういったものも、渡さないように日本もちょっとここまで来たらやるべきかなと思うんですけど」と、現在、巷で物議を醸している「出版によって元・少年Aが多額の印税を手にすること。


 

批判的な意見が大半を占めていますが、その一方でこんな意見もあったりします。


■ 長谷川豊



私に関しては、完全に読む前の考え方は覆された。
批判を覚悟の上で書いた元少年Aにも、大変な批判を受けることを分かった上で出版に踏み切った太田出版に対しても、私は理解をしたい。そう言える内容だった。

本書には「反省」も多数出てくるのだが、それ以上に、とにかく随所随所に出てくるのは「感謝」だ。人に触れ、家族の温かさを知り、その度に、自分の罪の重さをかみしめる様子が伝わってくる。特に元少年Aのご家族が、とても素晴らしい家族であることがしっかりと綴られている。

繰り返すが、多くの方々が想像している内容とは少し違うと思う。

私は、この本は世に出して良かったと思える内容になっている、と感じた。

 


なんと長谷川氏はブログで彼を擁護する記事を書いたのです。
もちろん僕同様全面的に元少年Aを形容してるわけではありませんが、非常に意義がある一冊と記していました。
これは一考に値する意見だと思います。


行き過ぎた文章表現には違和感を感じる

 ブログ用 酒鬼薔薇聖斗
出典少年Aの手記「今すぐ出版中止を」遺族が訴える 神戸連続児童殺傷事件

様々な方の見解をまとめた上で、さて今回の本題となる、前回書ききれなかった僕の意見を書いていきます。

「絶歌」を読んだ上で、僕は彼の気持ちが少しばかり理解できました。
それは前回の記事にも記したとおりです。

しかし形容できない側面があったのも事実です。
最たるところでいうと、文章の行き過ぎた表現

第一部を見たい際に、彼の文章は比喩や表現法がどこか小説チックで、自分が起こした事件を一つの物語として書いているような印象を受けました。
そして文面の端々から、自己陶酔や、悲劇的状況にある自分に酔っているようにも感じられました。
極めつけは本のタイトルが「絶歌」。
察するに絶望の歌という意味でしょう。
本の内容を加味した上で述べると、絶望してるのは少年Aである自分のことを指してるかと思われます。
これでは少年Aが自分のことを、一物語の悲劇の主人公として位置づけられてるかのように思えてしまいます。

少年Aは警察に対して挑戦状を送りつけるぐらいだから、承認欲求が人並みに以上に強いことが伺えます。
そうした性質を帯びているため、手記を書く際に行き過ぎた表現及び、自身を主人公に見立てた内容となってしまったのでしょうか。

真意は計りかねますが、とにかくそうした行き過ぎた表現は、読んでいて違和感を感じます。
遺族が読んだらどういう気持になるのかと考えたら、怒りがわきます。

前回の記事ではあまりこの部分に触れなかったし、少年Aを擁護してると思われても嫌なので、今回筆を取った次第です。

まずは「絶歌」を読んでほしい

 

彼の手記を読んで、形容できることとできないことがありました。
そして、理解できることできないことがありました。
しかしこの本は読む価値がないのかと問われれば僕は、「読む価値は十二分にある」と答えます。
長谷氏はブログで、本を読んでいないのにもかかわらず、批判的な意見を述べてるコメンテーターをこき下ろしていました。
これは僕も大いに賛同するところであり、少なくとも本書を読めば、彼が今はモンスターではない普通の人間であることがわかります。

彼は愛を知りました。人の痛みを理解できるようになりました。人に対して感謝ができるようになりました。
そして何より、自身が起こした事件に対して真摯に向き合っていることがわかります。

「絶歌」を批判してる方々には今一度本書を熟読してもらいたいと思います。
読んでいないのにもかかわらず批判的な意見を述べるのは、少々お門違いではないでしょうか。
何かを批判する際には、批判対象を真剣に検証する姿勢が求められるべきだと思います。
まずは本書を読んでほしい。話はそれからです。