要件を言おうか

カネとかジンセイとかいろいろ

たわわの炎上騒動が非常にばからしい

※本記事には広告が含まれています。
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現実世界では到底ありえないような爆乳の女子高生が登場する漫画、「月曜日のたわわ」。

 

今、このたわわが凄まじき批判を浴びている。

経緯はこうだ。

4月4日。日本経済新聞に、「月曜日のたわわ」に登場するアイちゃんの全面広告が登場した。
「今週も、素敵な1週間になりますように」とのフレーズで、同漫画がPRされている。

すると、フェミニストを筆頭に、

「これは性的搾取だ」

「未成年を性的な目で見るなど言語道断!」

「性的な魅力で男性を応援する有害広告」

などボロクソの批判が向けられる。

広告を出したヤンマガは広告を出した意図として、「4月4日は今年の新入社員が最初に迎える月曜日です。不安を吹き飛ばし、元気になってもらうために全面広告を出しました」とコメントしている。

ハフポスもこの騒動に参戦。


ハフポスでは今回の件について3つの問題があるという。
それが以下。

1. あらゆる人が読む大手新聞にこのような広告が掲載されたことで、「見たくもない人」に情報が届いてしまった

2. 「異性愛者の男性が未成年の少女を性的な対象として搾取する」ことを肯定してしまった

3. 「広告のジェンダー平等化」を掲げてきた日経がこのような広告を出すことで、自己矛盾に陥ってしまった


3については日経の会社としての方針なので触れないが、1と2については苦言を呈するしかない。

ハフポスでは、「見たくない表現に触れない権利をメディアが守らなかった」ことが問題であると指摘しているが、これは奇妙な理屈だ。

この理屈が通るなら、読者の誰か1人でも、「こんな広告は見たくなかった!」と言えば、その広告は排除されることになるわけだが、そんな意見をいちいち聞いていてはメディア業が成り立たない。

また、逆説的に「見たくない権利」があるなら、「見たいものを見る権利」だって認められるはずだ。
この二つの権利は利害対立するため、メディア業はますます混乱に陥る。
どっちの意見を聞き入れてもイチャモンをつけられるのだから。

以上のように、「見たくない表現に触れない権利」などという便利なワードを出して、同広告を非難するのは、普通に考えて「イチャモン」にしか思えない。

2の、「異性愛者の男性が未成年の少女を性的な対象として搾取する」ことを肯定してしまった、とあるが、これも無理やりな論法だ。

筆者がたわわの広告を見る限りでは、「ああ!これは異性愛者の男性が未成年の少女を性的な対象として搾取することを肯定してしまってるわ!大変大変!」などとは微塵にも思わなかった。
ただ単に胸のでかい女の漫画がPRされているな、との感想しか出てこない。

「でも、それあなたの感想ですよね?」と、独特の煽り顔でロンパーキッズに突っ込みを入れられそうだが、それを言うなら「異性愛者の男性が未成年の少女を性的な対象として搾取することを肯定している!」と思うのも、その人個人の感想ということになる。

明らかに露出が多い、大胆なポーズを取っている、などの要素があればまだわからなくもないが、広告を見る限りではただ胸がでかい女子高生が描かれているだけだ。
これだけで、「異性愛者の男性が未成年の少女を性的な対象として搾取することを肯定してしまってる」と主張するのはやや厳しい気がする。

それでもロンパーキッズは、「胸がでかいことが性的な魅力を演出しているのだ!」と食い下がってくるかもだが、ならば胸がでかい女性は皆性的アピールをしていることになるので、それは胸がでかい女性に対するいわれなき差別になる。

とまあ、そんな感じでたわわ炎上騒動は、非常に滑稽に見える。
批判が全く論理的じゃない。

この手の騒動が起こるたびに筆者が思うのは、「なんでたかが漫画、たかがフィクションをそんな問題視するのか」ということである。

筆者が大好きな漫画「ゴルゴ13」では、ゴルゴは人を殺しまくってる。
あるエピソードでは、ゴルゴは凄腕の狩人を暗殺するために、その狩人の婚約者をレイプし、その時の音声を狩人に聞かせ、大いに動揺を誘い、無事暗殺成功するという話がある。

非常にひどい話だが、それもそのはず、ゴルゴは殺し屋だ。
我々とは違う倫理観で生きているため、そのような非道な振る舞いを行えるのである。
だからといって読者は、「今回のゴルゴのエピソードはひどすぎる!即刻出版差し止めせよ!」などというクレームは一切言わない。

なぜかといえば、読者は皆これがフィクションだとわかってるからだ。
このエピソードに感化されて女性をレイプしようとした読者も、多分いないだろう。
だってこれはフィクション、現実とは違うのだから。

にもかかわらず、内容がこと性的な話題になると、フィクションと現実の区別がつかず、やたらめったら規制しようとする者が出てくる。

ある識者はいう。「フィクションに感化されて、道徳的、倫理的に許されない行為を行ってしまう者がいる。だからそのような作品は規制すべきなのだ」と。

しかし筆者に言わせてみれば、フィクションに感化されてアホなことをする人は、そのフィクションに触れなくてもきっとアホなことをしていると思う。

我々大人がしなければいけないことは、有害なものを見せないという教育ではなく、有害なものを見ても大丈夫な教育をするべきではないか、と。
そう思わないですかね?

ちなみに筆者はたわわを読んだことはない。なぜなら巨乳より貧乳派だからである。